2013年4月アーカイブ

盛岡医療生協の建設運動に学ぶ!!

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 4月26日(金)10時から大成公民館で第2回建設委員会が開かれ、50名の役職員・組合員が参加した。盛岡医療生協の遠藤副理事長に自ら経験した建設運動について話して頂いた。「岩手県も津波の被害が甚大であったが、福島県は原発事故による放射能に苦しみ、果たして私が力になれるのか複雑な心境できました。」と前置きし、自らの経験、苦労をリアルに聞く事ができ、参加者に感動を与えてくれた。


 翌日の理事会で感想を出し合いました。

 

?.毎月1000万以上の増資を29カ月連続して達成し、川久保病院の建設運動を成功させた話であったが、「医療生協は何故できたのか、今本当に医療生協は必要なのか」と問いかけ、盛岡医療生協の原点や歴史に触れつつ、「医療生協とは何か」について考えさせられた。もっと多くの人に聞いてもらいたかった。
?.「こういう診療所をつくろう」と全日自労の人達が、日当300円の時代に350人が1人1000円(毎月100円を10回払い)の出資をしたこと、45歳で亡くなった所長の「困っている人を見て、見ないふり出来ねえべ」という原点、所長が亡くなり、不正請求でカルテ押収、労災指定取り消しという困難な時支えてくれた民医連という組織(延200人の医師が支援)、30年間ずーと赤字でも頑張ってきた組織(こういう組織を潰すことは出来ねえべ)、などなど盛岡医療生協の原点に触れて頂いた。郡山医療生協にも40年の歴史がある。桑野協立病院増改築という大事業を40年の歴史を踏まえ、地域から求められる水準に組織と事業を転換するチャンスと捉えて取り組みことが必要だ。
?.「ジャンプ2000大阪」の集会に40人の代表を送ろうと360万円の資金を集めるため「ここから始まる実行委員会」を組織し、ここまる弁当やここまるワインの販売などを展開した。この運動が建設運動の土台になり、「坐して死を選ぶより闘いを選ぶ」と「マイナスから出発して15億円を集める」建設運動の決意を固めた。ある女性理事が100万円持って来て「遠藤さんやるべ」と言われた時、迷いが吹き飛んだ。自分で決意し、自分から行動する理事会に変わった。理事会の決意と団結、行動から様々なアイデア、方法が生まれると思う。
?.「70を過ぎて、80を過ぎてどうして学習」という質問に対して「学んで元気になって、元気のない若い人を励まそう。ここまで生きてきて、あとは世の中をよくするために貢献する事以外やることないでしょう」と答え、通信教育や学習会に取り組んだ事が力になった。「医療生協って80になっても、90になっても人前で話す事ができるんだ」建設運動に学ぶ運動を位置づける事が大切。
?.盛岡医療生協の方針の柱に「健康寿命を延ばす」「そのために医療生協として出来ることは何でもやる」という話には共感した。遠方の組合員には病院増改築と言ってもピンとこないが、健診を受けた人は医療生協の健診の良さをわかっており、健診を健康づくりに生かすことができる。医療生協全体の運動にしていくためには、今回の計画で健康づくり戦略を具体化していくことが重要だ。
?.盛岡医療生協の事業を見学し、理事会同士で交流したい。

 

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 4月25日(木)午後6時30分から山手線大塚駅近くの東京労働会館ラパスホールで開催された「東京保健生協・9条の会」主催の講演会に参加してきた。講師は坪井院長。テーマは「人権と憲法を考える」。講師依頼に対して「このテーマであれば、僕ではなく専務ではないか」しかし私は、「核害の街で生きるはバージョン103になってきているが、東日本大震災、原発事故が起こり、私達がこの街で生き抜くために手探りで取り組んできた事を話す事は、このテーマにぴったりではないか」と話したところ、坪井院長は、速やかに「ガッテン」した。この感度の良さには感心する。
 昨今の安倍首相を先頭にした憲法改悪の策動は、恐ろしいものである。東京保健生協9条の会は、ここ数年開店休業状態であったようであるが、急を要する情勢の中で9条の会を再開し活動を強化するために学習会が企画されたようである。その講師に、原発と被ばくから健康を守る戦いを進める郡山医療生協が選ばれた事は、光栄であり、この間の支援に対する恩返しでもあった。
 

私達の闘いを支えたもの3つ
 

 未だ人類が経験した事の原発震災、目に見えない、臭いもしない、知識もない放射能被ばくとの私達の闘いを支えてくれたものは何か。坪井院長は、以下の3点を熱く強調された。
1.手探りの中で、この戦いで寄って立つべきものは日本国憲法しかなかった。主権在民と生存権の主張。それを具体化した医療生協の患者の権利章典これである。
2.全国の仲間の支援と連帯
○大震災・原発事故直後から物的支援、人的支援、知識や情報の提供があり、様々な全国での連帯行動により、自分たちだけが苦しんでいるのではない、仲間としてつながっている事を体感した。
3.専門家とのネットワーク
○手探りで始めた戦いを放射能の知識、被ばく予防など専門家とのネットワークに励まされた。
 

報告した事4つ


 坪井院長は、郡山医療生協の取り組みについて自分の実践を踏まえて報告した。
1.原発事故の影響を核の公害:核害と認識した。
2.主権在民という考え方を基本にして民権運動を提起した。
3.事故後25年のチェルノブイリを視察し、郡山での放射線防護態勢を拡充してきた。
4.脱原発を現実化するため、第一原発5,6号機、第2原発1号から4号機から廃炉作業に入り事を要求します。
 

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 甲状腺エコー検査準備検討チームにおいて7/1開始をめざして福田澄子先生と準備を進めているところです。4/23に二本松市にある浪江町津島診療所を福田先生と検査科の山田さんとで訪問し、甲状腺専門の関根俊二先生にお会いしてきました。
 受診者の方の甲状腺エコーを見せていただき説明を受けました。その後、スキャンの仕方や読影、判定などについての質問に丁寧に答えてくださいました。
関根先生は「定期的においでください」と言っていただき、これからもご指導していただきます。

(事務長室:鹿又)
 

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 23日ケアハウスはやま食堂にて、「ロンゲラップ島民支援代表団」の報告を組織部の小抜さんより話しをいただきました。全体的に、代表団参加の経緯からマーシャル諸島の現状、島民の歴史、島民の放射能への思い、今・これからの暮らしについてなどに、福島の原発事故で抱えている問題と重なる思いを強く受け止めました。皮肉にも、60年近く経っても「国や政治が信用できない、不安がある」という島民の思いが、事故から2年経った今の福島県民、または原発を抱える日本列島の国民すべてにあてはまる共通の思いではないか?と感慨深い思いがしました。(いったい何を考えているんだ!政治家たちは!)
 また、放射能問題は未来ある子供たちのために早期解決をと願うことばかりではなく、今回参加されたケアハウスの住人たちの今を生きる人たちの思いが、しっかりと原発問題と向き合っている姿勢を感じることができました。戦争を体験してきた方々から思うと、たった5?60年前の出来事は鮮明に記憶されている様子です。若い世代にも今を生きながら、これからを考えるきっかけになってほしいと思いました。報告会後には、報告集も売れ、募金もいただき、実のある学びの時間となりました。

(くわの福祉会 太刀野)

浜北94便届く!

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浜北94便届く!

 

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 4月23日、大熊町の避難者の「つながっぺ」の会と郡山医療生協の「ぼたんの会」の合同でのお花見会を行いました。
 開成山のさくらは「私たちを待っていてくれたんだね」と90歳のトヨさんが言っていたように、まだしっかりと花を残してくれていました。
 当日に予定していた計画をキャンセルし、さらに友達を連れて合流してくれた方、けやき法律事務所の大峰弁護士の参加もあり、総勢36名の笑顔と笑い声が広がったひとときでした。原発事故後に転々と避難先を変え辛い思いを話すひと、近況の話、賠償問題の話 故郷の相馬ながれ唄を歌う人涙する人。辛いことも、うれしいことも、楽しいことも、みんながそれぞれの思いを話しながら共感し一つに繋がっていることを実感する時間でもありました。郡山医療生協の説明の希望があり、これからは郡山医療生協に何かあったら相談していきたいという声も聞かれました。早速!組織部ホープ?関根さんに「セイフテイーウォーキング」の講習会の依頼が入りました。また、双葉町の方の情報もあり、「つながる」の輪はもっと広がっていきます。郡山医療生協はこれから忙しくなりそうです。

(包括 白石)

 

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原発事故から2年目の取り組みを振り返って

江川雅人

 

 1.48μsv/h(除染前)、0.34μsv/h(除染後)2013年2月27日島公園の放射線量測定値です。公園は毎月除染を行っていますが、原発事故からまる2年が経過した現在でも、その値は大きく変わってはいません。一方で、マスコミ報道は徐々に少なくなり、原発再稼働へ向けた動きは加速しています。「安全だと思いたい」「安全であって欲しい」という想いと放射線の影響に対する「不安」が交錯するなかで、全国からの支援に支えられ、核害の街での暮らしと医療活動を継続してきました。若手医師の退職を契機に厳しさを増した医師体制への全国から頂いた支援と2年目の取り組みを振り返ってみました。


  外来診療と検査体制の確保へ


 2012年3月で消化器内科医の退職があり外来と内視鏡検査体制が厳しくなりましたが、4月に富山医療生協から齊藤隆義医師が支援のため着任し、麻酔科の福田澄子医師の常勤医となったことで、明るい兆しを感じながらの年度のスタートとなりました。5月からは皮膚科の高橋博医師が火・土の午前診療に入り、数井晶医師の内視鏡支援も第1、第3水曜日で定着、6月からは内視鏡検査で木村洋医師が月・水・金と入ることとなり、外来と検査体制はなんとか見通しがたちました。外来患者数は1日当たり306.1人(2011年度293.5人 2月現在)、内視鏡検査も上部下部合計4,539件(2011年度4,207件 2月現在)と増えています。


  日当直体制の確保と「全日本民医連福島連帯支援委員会」
 

 医師の負担軽減を図る上での重点課題は「日当直医の確保」でした。内視鏡検査をお願いしている数井医師に第1・第3火曜日の当直をお願いするとともに、斡旋業者を通じて、主に土日の日当直を行う医師の確保に取り組みましたが、なかなか安定的な確保には至りませんでした。
 6月に、県連を通じて全日本民医連に第3、第4土日の日当直の支援要請を行いました。当時、全日本民医連は「わたり病院連帯支援委員会」を設置し、わたり病院の管理型臨床研修病院の機能維持を中心的な課題として医師支援を行っていました。これを「福島連帯支援委員会」に改組し「福島県連の医療活動と働く職員への支援」をテーマとし、その一環として桑野協立病院への日当直支援、薬剤師支援が始まりました。8月に関川泰隆医師(神奈川民医連)、9月・10月は岡田朝志医師(千葉民医連)、11月からは牛山元美医師(神奈川民医連・さがみ生協病院)に毎月第3土日に支援にお出で頂きました。また、9月以降の第4土日はわたり病院から遠藤剛院長と渡辺秀紀医師に3月まで支援にお出で頂いています。当直支援はこの他に、11月から「県地域医療支援センター」の紹介で田中篤医師(帝京大学内科学教授)に第2土日をお願いしています。
 2月に開催された福島連帯支援委員会では、第3・第4土日の日当直支援を2013年度も継続することが確認されています。また、県連全体で医師の養成と確保に取り組む仕組みを作り上げるため、桑野協立病院が協力型研修病院として県連医師養成に参加すること、県連医師委員会を設置することも確認されました。原発事故後2年目は、全国からの医師支援が大きな支えとなった一年でした。

 

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  法人挙げて医師・薬剤師・看護師確保へ


  常勤医をはじめとしたスタッフの確保を法人挙げての課題として位置づけ、合員や職員への紹介運動の提起。斡旋事業者の活用、ホームページ等等への掲載など、様々な取り組みを進めました。こうした取り組みの中から、奨学生の紹介で新卒薬剤師を1名採用し、外科医の情報提供がきっかけとなって内科常勤医1名が内定(7月着任予定)しました。
 

困難な中でも準備を進めて … 2012年10月看護学生の臨地実習がスタート


  看護学生の臨地実習の受入は、国際メディカルテクノロジー専門学校看護科からの依頼を踏まえて2010年12月理事会で方針が決定され、2011年3月最初の管理委員会で2012年10月からの受入を目標に準備することを確認していました。「看護師の確保へ道を拓くとともに、何より看護の質の向上につながる」というのが決定の背景にありました。しかし、その直後に東日本大震災と原発事故にみまわれ、暫くの間準備は停止状態に陥りました。
 2011年6月、「困難な時期ではあっても臨地実習の受入は計画通り進める」ことが再確認され、看護部に「臨地実習委員会」を設置。指導者講習会への職員の派遣、看護部内での学習会の開催と手順書の見直し作業、研修室等の施設条件の整備を進め、2012年10月に当初の予定とおり最初の実習受入を行いました。
 看護学生の受入は、病院内に明るい雰囲気をもたらしました。「実習初日、朝病院に入って来た学生が職員から『実習今日からですね、頑張ってね』と声をかけてもらった。 看護部だけでなく、病院全体が迎えて入れてくれたことにとても感謝した。」学生からの声です。学校からも「 実習施設としては指導者の的確かつ丁寧な指導力・学生に向き合う姿勢がとても真剣である」という評価を頂きました。担当した看護師からも「患者さん・ご家族の協力があり、学生の看護援助に協力を頂けている。学生が来ない日や実習終了した時、患者さんからは“寂しい”との声や“元気がなくなってしまった”」「医局の先生方が元気に見える」との話も出ていました。次の時代を担う看護学生の姿が病院内にもたらしたものは、困難な中で準備を進めた苦労以上のものがありました。


 地域へ足を踏み出して…機関紙配布活動


 震災直後、地域の助け合いで最も力を発揮したのが「機関紙配布ルートの繋がり」でした。「機関紙の手配りを増やす」という方針を受け、夏号から職員による機関紙配布活動が始まりました。職場ごとに病院周辺地域を担当することとし、機関紙の発行に合わせて空き時間や時間外を利用して、点在組合員の訪問と併せての取り組みとなりました。この取り組みを通して、新たな配布ルートも誕生しています。

 

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 想いを寄せ合って … 2012年度の出発点となった「活動交流集会」


 2012年4月19日、前年度開催できなかった活動交流集会を1年半ぶりに開催しました。記念講演は医療福祉生協連副会長理事の藤原先生に「医療生協の患者の権利章典を発展させ、新しい文書をつくります」と題して、「いのちの章典」についてのお話を頂きました。3.11以降の私達の取り組みの起点に置いてきた「医療生協の患者の権利章典」の今日的な意義を改めて学ぶ機会としました。
 各職場からの報告は、「震災から1年間の取り組みを全ての職場でまとめること」を共通のテーマとし、


 ・震災及び原発事故による日常業務への影響とこれからの課題 

                
 ・原発事故や放射能汚染についての職員や職場への影響と取り組み


 ・支援活動や支援を受けた内容、他の職場に知っておいて欲しいこと


等について、全ての職場からまとめを提出することとしました。
 当日は時間の関係で限られた職場の報告となりましたが、提出された各職場の報告は「第22回活動交流集会報告集」に全て掲載されました。「震災後は自分の職場のことでいっぱいだったので、他の職場の取り組みを知ることが出来て良かった。各部署の取り組みや苦労を共有できたと思う」「みんなで協力していかなければならないことを実感しました」などたくさんの感想が寄せられました。1年半ぶりの活動交流集会が2012年度の取り組みの出発点となりました。

 

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 4/17に大阪の淀川勤労者厚生協会から新鮮なきゅうりが届きました。新鮮でピッカピカのきゅうりです。全職員に届けました。淀川勤労者厚生協会では昨年10月から毎月、新鮮なお野菜やくだものを届けてくださります。野菜を送る料金は、職員が毎月募金を集め、まかなっているそうです。毎回とてもありがたく、楽しみにしています。この間も、大阪での2回の核害学習会で交流を深めてきました。この夏は、福島の実態を肌身で感じようと「福島震災・原発事故被害の視察ツアー」を予定しているということです。また、お会いできるのが楽しみです。これからも長い交流をお願い致します。

 

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 4/17に須賀川・白河地域の医療を考える会が主催の各自治体などと地域医療の要望を伺う懇談行動が行われました。昨年10月に公立岩瀬病院と国立福島病院の統廃合協議が不成立になり、県立医大からの医師の引き上げが浮上し、地域医療の充実強化を図る要望等を求めて活動を進めています。また、放射能対策としての病院機能の充実も求めています。そうした中で、各自治体に地域医療の要望を聞く懇談の場を設定して活動を進めています。
 今回、その行動の1日目として、放射能に対する学習会が行われました。その中で、これまでの2年間の取り組みや現状を報告し、今後の核害の中での健康づくり、まちづくりについて交流しました。

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?放射線を測定しながら歩きます?(富久山支部)


 4月5日(金)風もなく穏やかな春日よりで気持ちよく歩きました。Nさんは「毎日おれの散歩コースだよ」と言って色々説明しながら歩きました。水神山の下の道で放射能を測定。木が沢山あるからか、0.52?0.57マイクロシーベルト。善宝池公園のコンクリートの道は0.48マイクロシーベルト。草むらのところは、0.68?0.7マイクロシーベルトありました。帰りに北谷の善宝池の端の土からは、どぶの臭いがしましたが、測定すると1.98?2.23マイクロシーベルトありビックリしました。終わってから富久山公民館の部屋を借りて、これからの事を話し合いました。

 

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(班会報告書より)

浜北93便届く!!!

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浜通り医療生協 1支部ミニデイ視察

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 浜通り医療生協の福祉委員会のメンバー13人が、生協でのボランティア活動、助け合い活動の参考にと、郡山1支部のミニデイサービスを見学に来所されました。
 本日のミニデイのメニューは血圧測定、体操、笑いヨガ(西部包括支援センター講師)、グラウンドゴルフです。増子副理事長から郡山のミニデイ、サロンの取り組みの報告を受けたあと、ミニデイに参加し利用者と交流しました。今日のミニデイは40人を超える参加者となり大賑わい。笑い声が絶えません。浜通りの方も明るく楽しい方が沢山おり、あっという間に利用者に溶け込んでいました。みんな仲良し!さすが医療生協と感じた場面でした。
 お昼には楢葉町から避難されている早川篤雄住職の奥様から、震災当時から現在までの2年間の状況をお話しいただき、改めて脱原発に対する思いを確信しました。
 午後はくわの実会の外来ボランティアの取り組みなども紹介し、交流を深めました。

 

(組織部 小島)

 

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 私ども家族は今回民医連・関東地協リフレッシュ企画に参加させていただき、充実した家族4人の旅行をさせていただきました。3/31から2泊3日の楽しい旅をご報告させていただきます。初日は、両国江戸東京博物館で東京の歴史を勉強して、その足で今の東京の象徴スカイツリー、ソラマチを満喫、その日の夕飯は月島に出かけてもんじゃ焼きを楽しみました。東京の過去と現在を満喫した一日でした。翌日はディズ二ランドで閉園まで楽しみました。

 

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(写真はディズニーランドのジャングルクルーズの船の中です)
 

 両国の宿では、民医連様からお土産までいただいて、あっという間の2泊を過ごしました。最終日は、子供たちのリクエストで原宿、渋谷、銀座と強行軍でへとへとにもなりましたが、家族一緒に楽しめた思い出に残る、とても楽しい2泊3日を満喫することができました。こういう機会をくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。
 

      (東介護事業所・ひまわりの家ディサービス 柳沼)

「放射線測定」訪問報告

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 このたび、全日本民医連 近畿地協のリフレッシュ企画に参加させていただきました。
パパ抜きで娘二人と女三人旅!!  初めての大阪!!  楽しかったです。
串カツ、お好み焼き、たこ焼き、美味しいものばかり・・・? ? ?
 ユニバーサルスタジオジャパンは二日間思う存分遊べました。今年はレインボーサーカスが開催されておりすごく混んでいましたが、サーカスは世界的なパフォーマーたちによる超絶アクロバットが☆☆☆ホテルは地下鉄難波駅から1分だったので、なんばグランド花月も歩いて5分!!道頓堀へも8分!!
 朝から晩まで楽しい時間をすごし、春休みのいい想い出になりました。  ありがとうございました。皆様に感謝いたします。

               2階病棟  橋本ファミリー

 

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浜北92便 届きました!

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浜北の安藤さんからアク抜きわらび

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 4月10日、浜北医療生協の安藤良江さんからアク抜き済みのわらびが大量に届きました。「えー!!もうわらび出ているの?」「こんなにいっぱい・・・」と驚きの声。苦味もなく柔らかいのにシャキシャキ感があって「なかなかこんな風に上手にアク抜きできないよ」と主婦の声。ワラビを採ることからアク抜きの作業まで、さぞ大変だった事と思います。一足も二足もも早い春の味、皆でおいしくご馳走になりました。ありがとうございました。


 ?安藤さんから?


 桑野協立病院の皆様 お元気で忙しくお過ごしのことと思います。先週4日と協8日、ワラビ採りに行ってきました。手入れをしなくなった茶畑の近くに多量のワラビが群生しているところを見つけました。春の苦みを味わって下さい。今年の5月から始まる原水爆禁止平和行進(東京?広島のコースの静岡県内13日間)の浜北医療生協の代表として行進を行う事にしました。今の社会情勢を考えると行動で示すしかないと思いました。(中略)沖縄も福島も私達が忘れてはいけない所です。これからも様々な形で伝えていきます。
 

 

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 県医師会主催で4月7日開催された甲状腺エコー研修会に放射線科から中里、岡、渡辺、検査科から山田の4名が参加しました。全体では100名の参加で医師が3割、放射線及ぶ検査技師が7割でした。内容は、午前はエコー検査の全般的講義、午後は実習でした。養成方法は、福島県のローカルルールとして研修で25点取得し、ペーパーテストに合格した認定証を発行するとのことです。因みに今回の研修で10点獲得しました。次回は福島で4月21日開催とのことですので、積極的に参加したいと思います。二本松の浪江仮設診療所で検査にあたっている関根先生との協力も並行して進め、検査機器の選定を含めて準備を進めていきます。

(放射線科・中里)

この1年間を振り返って

全国の仲間と共に歩んで


                             看護部長  佐藤唱子


 震災後1年は無我夢中で、とにかく事業の継続と職員と家族を守るために精一杯の取り組みをした、あっという間の1年でした。そして再び迎え、過ぎた1年間を振り返ってみると、この1年間も昨年と同じく、全国の仲間と共にあった1年間だったと振り返ることが出来ました。
全国からの支援として、昨年に引き続き、夏の看護支援をいただきました。支援は平成24年8月1日から9月30日までの2ヶ月間で支援看護師23名となりました。支援県連は19県連、支援法人22法人、個人1名、支援延べ日数は209日となりました。8・9月とも4.5名の看護師が増えた事になります。この結果、希望者の40%がサマーキャンプやリフレッシュ休暇を取得できました。看護支援を受けての感想には、「どの人も生き生き仕事をしてくれて、こちらも元気をもらえた」「他院所のお話しも聞けてよかった」「リフレッシュ休暇として5日間休みがもらえた」「他病院から来ていただけるだけで新鮮な空気と刺激があり、余裕のない自分達に笑顔をもらいました」というものや、「福島県の現状を知ってもらう為には来て頂いたほうが良い」、「福島だけではなく、同じ日本国民として原発問題を風化させないように情報交換できるためにも、お互い行き来できれば良い」など感想があがっていました。職場責任者への要望として、支援と休暇を効果的に組み合わせ、人手が足りているときにはスタッフを休ませるなど対応して欲しいなどの声が上がっています。冬休みに合わせた支援は、子どもの冬休み期間が短い事や冬場はどこの法人もかなりの看護師体制の不足が予想されることから、支援なしでやってみる事で意思統一しました。
 

支援物資も沢山いただきました。特に看護支援に来てくださった方や、その看護部からの贈り物には、短期間でも強い絆が生まれていたことを確信しました。
震災から2年が過ぎても定期的に支援物資を送ってくださる生協や、旬の野菜や果物を送ってくださる事業所、一度に全職員に渡るほど大量の野菜や果物を送ってくださる医療生協や民医連の事業所には、“いつまでもこんなにしてもらっていいのかな?”とか“申し訳ないけどうれしい”、“本場ものはうまいなっし!”などといいながら、喜んでいます。

 

 大変な手間ひまとお金をかけて継続的に支援をしてくださる事を有難く思うと同時に、この支援の意味をしっかりととらえ、自分達は何が出来るのかを考え実践していかなくてはならないと思っています。福島県生協連で「子ども保養プロジェクト」を取り組んでいますが、当院へ医療班として看護師派遣の要請が来ます。厳しい体制の中なので現場から“また?!!”という声が聞こえる時もありますが、そんな時全国からの支援の意味を考えて、今度は私達が子ども達や地域への支援に繋げていかなければと話し合っています。

 

 支援物資といえば、クリスマスに、ある病棟の職員一人ひとりにクリスマスカードが送られてきました。思いがけないプレゼントにみんな大興奮、看護支援に来てくださった病院からのプレゼントでした。なんて優しい、暖かい心遣いでしょう!
それにしても脱原発、原発廃止の運動を全国的に進めていくためにも、福島の現状を知っていただく事が特に大切と考えているため、全国から講演の依頼があったときや、現地視察の要求があったときは積極的に応えて来ました。講演は相手方に合わせて看護管理者だけでなく3年次の看護師も派遣しました。医療福祉生協や庄内医療生協の3年次研修、奈良民医連、東神戸病院、群馬医療生協、香川医療生協の看護職員対象、近畿高等看護専門学校にも出向きました。近畿高等看護専門学校の自治会からは講演のあと学校祭での利益を寄付金としていただき、ビックリするやら嬉しいやらで感激してしまいました。
原発事故の問題は福島だけのことではない、いつ自分達が同じ目に遭うか分からない問題であると受け止めていただきたく訴えたつもりです。
 

 現地研修としては、東京民医連や埼玉民医連の看護管理者の研修視察を受け、お話しや懇談、FTF(ファースト・トラック・ファイバー)で放射線の外部・内部被曝の検出検査の体験などしていただきました。講演の後の質問から、私達がまだやれていないことや期待されていることを気づかされたりで、双方向での学びあいが出来ました。


 いま私達は、「核害の街」で主権者らしく生きてきたか、又これを次年度につなげるために何をしていくかの振り返りを進めているところです。原発事故や被曝の問題が軽視されていくことも危惧されます。次年度は今までよりも一層日常の取り組みとして位置づけることや、全国の仲間との連携強化を更に進めて原発廃炉の運動を前進させる必要性を考えると、途切れることのない“共に歩む”ことの大切さを痛感するものです。

 

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WHO世界保健デー行動!

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 4月6日(土)WHO世界保健デー健康チェックを、イトーヨーカドーにて行なってきました。組合員さん20名、看護師さん2名、職員4名、組織部4名の合計30名が参加し、多くの方の健康チェックをしました。
 参加した事務系新入職員の3人からは、「病院で診察を受けるほどでない症状や心配な事(について気軽に相談できる場になっていると感じた。今回の活動を通して、自分でも健康づくりのためにもっと勉強しようと思った。」「なんとなく測定にいらした方も、看護師さんや組合員さんと健康相談をすることで、笑顔で帰って行ったのでうれしく思った。」「測定に来た方から“ありがとう”といわれることもあり、とてもうれしかった。体力に自信があるので、組織部に配属されたら、医療生協の一員として地域が活性化していけるように全力を注ぎたい。」という、健康への関心から、健康づくり活動の重要性、また、健康づくりの活動を組織していくことまで考えた頼もしい感想が寄せられました。
みなさんの健康は大丈夫ですか?

(組織部・関根)

 

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 「安心して住める福島を取り戻すために」署名に全国の皆さんからご協力いただき、誠にありがとうございました。
 お蔭様で577,760筆というたいへん多くの署名をいただきました。
 去る4月8日(月)、熊谷純一会長、佐藤一夫専務理事、住吉 登北海道・東北地連事務局長、伊藤治郎日本生協連渉外部部長、木戸怜子日本生協連組合員活動部部長の5名で、急きょ、根本匠復興大臣を訪ね、署名の結果の報告と内閣総理大臣宛の要請について、託してまいりました。根本大臣には、国会中のたいへんお忙しい中、特別に会っていただき、「福島県の復興は私が責任を持って取り組みます」と力強いお話しを伺ってくることができました。

 

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「放射線科の取り組みのまとめ」

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 当院の坪井院長も言っている通り、福島県民の健康を守るための除染や食品検査体制、人体の被ばく状況の把握等、国と東電に責任があります。しかし、現地に暮らしている私たちにとってこれらの対策は大変遅れているのが現状です。放射線科ではその中で空間線量測定を2011年5月から、食品放射線測定を2012年5月から、人体の被ばく状況FTFを2012年12月からそれぞれ担当しています。


空間(定点)線量測定


・線量計の測定高さ床か地面から1m、測定日2012.4.2と2013.3.4の測定結果を報告します。
・2012.4.1から2013.3.31までの1年間(365日)で248日測定しました。
・放射線管理区域当院の撮影室内測定値は0.06マイクロSv/hです。

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食品線量測定


 食品測定結果2012.5月28件、6月30件、7月43件、8月23件、9月23件、10月28件、11月16件、12月5件、2013年1月11件、2月5件 合計212件です(この中には同じ食品の再測定27件、土10件、炭2件を含みます)。
  食品基準値100ベクレル/Kgを超えた食品は4件でした。内訳は自家用消費等・4月梅干し105.73・たけのこ138.45・たけのこ192.14・11月ゆず208.29病院昼食毎週1回水曜日測定を実施しています。


FTF測定


 3月1日三穂田支部16名のFTF測定。測定結果説明を佐々木君が担当。「FTFは体や体表面からの放射線を測定している」数人が微量に検出され「服や髪の毛についたりしているのではないか」など説明していました。結果説明には人前での説明や学習が必要です。4月から技師歴3年目を迎える佐々木君にとって、いい経験の場所になっています。

放射線科・中里史郎

 ずっとずっと・・・「あれからどうされているのかな??」と密かに思いながらいた私でしたが再開できる話があり、包括支援センター・組織部と一緒に早速足を運んでみました。
大熊町から郡山に避難している方々の交流の場『空sora』には男女20人程集まっていらっしゃいました。


震災翌日からの支援で知り合う


 私と大熊町の方々との出会いのきっかけは震災翌日。避難されてきたあの時の大熊町民の切実な訴えは今でも忘れられません。自己紹介をしながらその当時の話に触れれば皆さん「うんうん・・・」とうなずかれ、避難所や医療支援の話をしたら「あぁ?病院に行った行った!わたし世話になったよ。バスで避難所まで迎えに来てくれたんだよね」「あのとき隣の温泉にも行ったな」などの会話ができました。


お花見の話や線量計貸し出しの話も


 再びお力になりたいとの思いを伝えながら、医療生協と桑野協立病院の案内をしてきました。配布した“みんなの健康”に載った写真を見て知り合いも発見!「顔を合わせて交流することは大事だね」と22日のお花見参加のお誘いもできました。線量計貸出や食品の線量測定の話では、「郡山では借りれず会津(大熊町役場)に行っての申し込みとあって手にできなかった。知人(組合員)から生協のことを教えてもらって測定できた」との事。組合員になる方法の質問もありました。


生協の輪を広げる中で


 これから更に生協の輪をひろげ、つながっていくことは大切だなって思いました。

(師長室・七海)

 

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 広島のむねよし企画から森本農園の「はるか」が届きました。ふわっと日向夏のようないい香りが届きした。はるかは日向夏から自然交雑で誕生した突然変異で誕生したようです。
 見た目から想像つかない甘い柑橘です。中皮は厚めですが、ほのかに甘みがあり、そのまま食べれるので植物繊維もとれます。レモンの色の見た目から想像できないような甘さ。
 

 

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 私たち家族は、今回、全日本民医連・関東地協春休みリフレッシュ企画に参加させていただきました。3/24〜26日の2泊3日で1日目は東京ディズニーランド、2日目は品川水族館と東京駅を見学してきました。
 ディズニーランドは長男、次男は5年ぶり。末っ子は、はじめてでした。ミッキーの家では、やや暗い照明に「こわ〜い!帰る〜う!」と言ってた末っ子もミッキーに握手をしてもらい、ニコニコ顔になりました。パレードでは子供達3人とも手を振り「すごい〜!」と見入っていました。感動でした。「また来たいね」と長男、次男。「ミッキーいたね」と末っ子。ホテルでは手土産までいただきました。充実した3日間でした。ありがとうございました。 

                                         (外来 太刀野)
 

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 3/29に開成2丁目で郡山西武包括支援センター主催の学習交流会が行われました。西部包括支援センターは平成22年度から開成2丁目地区において継続して介護予防教室を行ってきました。今年も地域の空家をお借りして、健康チェック、ストレッチ体操、学習会を行いました。参加者は18名、60歳〜90歳と幅広い参加となりました。
 また、「放射能汚染の現状と放射能から体を守る食事について」と題して学習会が行われました。学習会後の質問時間には、「開成2丁目での除染について」「子供の甲状腺エコー検査で所見があったものは大丈夫なのか?」「地元の野菜を食べて安全か?」「線量計はいくらぐらいするのか?」「FTFを受けるにはどうしたらいいのか?」など多くの質問が出され、放射能への関心の高さがうかがえました。
 

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 3/29にコープふくしまの住宅部除染チームがつくしんぼ保育園を訪れ、除染作業を行いました。まずは、効果的な除染を行うために空間線量と土壌線量の両方を測りホットスポットを特定。線量の高い場所は、土壌ではなくセシウムが吸着したコンクリート(縁石、インターロック、側溝のフタ)でした。この場合、高圧洗浄機では効果はなく、吸引器と接続した電動研磨機をしての除染でした。カウンターで600〜1000CPMあったところを研磨することで70〜80%の除染に成功!
 
 コープふくしまでの除染技術は県内でも評判となり、自治体で行われた除染で下げられなかった線量をさげるなど、様々なところから要請があるとのことでした。今後は、除染の実地講習などをおこない、職員や組合員に広めていきたいと思います。

 

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 避難されている方々が、桑野協立病院に受診する数は、今年度も減るどころか増えてきている状況にあり、入院治療が必要な患者さんも常時1?2名いる状況は続いています。
 継続的に外来通院している患者さんは、新たな疾患が一つ二つと増えていき、病気や健康のことばかり考える日々が続いているようです。表面上はにこやかに平静を装って生活しているものの、いざ原発や避難の話になると、不安や葛藤している胸中が抑えきれなくなるようです。
 生活の様子は、仮設、借上げ一軒家で家族一緒でも大家族、借上げアパートで夫婦のみ子供は県外、3世代が別々の借上げアパートなど、2年経っても同じ状況で、良い方向に改善されたとの話は聞かれません。反対に、家族一緒だったのに老夫婦のどちらかが施設入居せざる得なくなり、別々の生活になってしまい土地勘もない中で施設への面会生活が始まったなど大変な状況へ変わっている等新たな苦労や問題が発生しています。
 また、在宅往診が必要になった方もおり、母を在宅介護する息子は「農業の代わりに介護するわ」と言いますがそれでいいのかと虚しさを感じます。どなたの生活を聞いても、長期化する避難生活での肉体的・精神的疲労が蓄積されてきており、ストレスが極限にきていると感じます。特に、自営業や農業に従事されてきた壮年期の方々は職を無くし、何もすることがなく無気力になってきているのを感じます。
 ソーシャルワーカーは、入院された患者さん全員に、入院しての不安や退院後の心配がないか面接を実施しています。その中でも避難者の方々に対しては、じっくりお話を聞くようにしています。皆さん口々に「帰りたいけど帰れない」自問自答を繰り返す言葉が聞かれ、寄り添うことしかできないことに時に無力感を感じます。また、外来通院中の患者さんへはアプローチできていないのが現状です。
 孤立させない・ささやかでも楽しみを見つける・この土地での役割を見つけることは、ここで生活していく上でとても大切なことであると思います。今年度開始された、医療生協の避難者「サロン」や地域・支部の活動を紹介するなど、意識的に紹介し、つなげていかなければならないと思います。
 

<医療相談室より> 
松本智子・細井美也子・朽木暁美

 

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つくしんぼ保育園の1年

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 震災から2年が経ちました。子どもをめぐる状況は昨年と大きく変わっていません。外遊びは今も制限があり、お散歩の時いつも線量計を持ち歩き、線量の高い所には近づかないようにしています。そんな中でも線量の低い所では思いっきりかけっこしたり、少し遠くまで足を延ばしたり、かくれんぼや固定遊具で遊ぶなど「できる遊び」を増やしてきました。
 しかし、砂はもちろん自然の物に触れることはまだできません。
また昨年と同様、どんな事も父母と話し合って確認を取りながら決めていくことを大切にしてきました。

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<父母会との取り組み>
 4月、父母会総会で散歩と水について話し合いました。
散歩で植物等に触れさせることに父母はどう思うか。このまま自然に触れる事なく乳幼児期を過ごさせていいのかと不安を感じたからです。親たちも悩み、触れてもよいが口にしないように、触った後もその手を口に入れないよう見てほしい、帰ったら石鹸でよく手を洗ってほしいといっていました。まだまだ不安いっぱいの状況が続いています。
 水についても昨年と同じように、給食で調理する水も含めてミネラルウォーターにしてほしいという要望でしばらくは水を買って使用していました。

 5月に実施した「親子遠足」。昨年は室内でしたが、石筵ふれあい牧場の線量が低いことがわかり、今年は外で久しぶりに草原を走ったり、動物と触れ合ったり、外の気持ち良い風を感じながら過ごすことができました。

 6月に食品と水のアンケートを実施しました。「線量を測って不検出であっても地場産の野菜は使わないでほしい。できるだけ県外で遠い地方の野菜にしてほしい。」との声が多く聞かれ県外産の野菜を使い、ホワイトボードに産地名を書いて父母がわかるようにしました。
水についてもミネラルウォターの希望が多かったのですが、市の検査で不検出であること、公立保育所が水道水を使って調理していること、赤ちゃんのミルクにもミネラルが多く含まれているので過剰摂取になるなど良くないこともわかり父母に知らせ、後半から水道水に切り替えました。

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 1月、わたり病院の管理栄養士関場治美さんを呼んで「食生活のポイントを理解して放射能から体を守る」と題して学習会を開きました。放射能を取り込まない方法、取り込んでも早く排出する食べ物・方法ついて学びました。放射能を測りながら食べることも大事とのお話もあり、父母の意見も聞いてみると「不検出であれば地場産の食材のほうが新鮮でおいしく食べられて良いのでは」という声も多く聞かれ、不検出を確認して使うことにしました。

 

<除 染>
 郡山市の指摘もあり5月に保育園南側の側溝の除染をしました。父母や病院の職員の方にも協力してもらって5μsv/hから0.45μsv/hに下げることができました。8月には、郡山市のほうで雨水升の除染をしました。

 

<取 材>
 7月にジャーナリストの荻原博子さん、猪熊弘子さんが郡山の状況を知りたいと保育園を訪れました。その時の様子が荻原さんによって「サンデー毎日」「女性自身」に掲載されました。また、猪熊さんも「ちいさいなかま」に記事を載せました。
 2月には全国保育団体連絡会から4名が郡山に来て保育園を見学。郡山の保育連絡会のメンバーと震災の様子やその後の保育を聞く懇談会を持ちました。心配に思っている事や行政への要望も出され、国へ働きかけたいと言っていました。

 

<給食・食材の放射線量を測定する取り組み>
 福島県と郡山市の事業として12月18日から毎日給食と食材を測るようになりました。
食品の線量を測る機械、パソコン、プリンターが設置され、専用の測る人も配属されました。
食材費(サンプル代)として1日2000円を目安に補助金と消耗品代4万が支給になります。
なにより不検出であることを確認して、安心して給食を食べることができるようになりました

 

<楽しい企画>
 9月に「つながり遊び」で有名な、二本松はじめさんが保育園でコンサートを開いてくれました。子どもたちと歌を通して元気いっぱい遊んで楽しいひと時を過ごしました。
10月にはユニセフの思いっきり外遊びプロジェクトに参加し「ふれあい科学館」に行ってきま
した。

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<支 援>
 鹿児島医療生協虹の子保育園の保護者、黒江さん、新潟民医連の高井さん、長崎県大浦診療所の増田さん、静岡健生会田町診療所職員の方々から野菜、果物お米、お菓子など沢山送られてきて、子どもたちの給食やおやつに使わせていただきました。3月には名古屋の「やきいもおじさん」こと平田さんが沢山の野菜と焼き芋を持って子どもたちに会いに来てくれました。多くの方たちが福島を気にかけてくれている、自分のこととして受け止めているという思いが伝わってきていつも元気をいっぱいもらっています。

 

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 振り返ってみると前進していることもたくさんあります。この状況がいつまでも続くと思うと気持ちが沈みがちですが、情報を集め父母と話し合いながら、子どもたちの「できること」を増やしていきたいと思います。
  

つくしんぼ保育園   鹿又智子

安里先生2年間お世話になりました!

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 PTの安里先生には、患者さんはじめ多くの職員がお世話になりました。リハビリの若手職員の技術指導でも貢献して頂きました。セラ・ラボに帰られての益々のご活躍に期待しています。

 

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 斎藤先生、富山から1年間本当にお世話になりました。

これからもよろしくお願いします。 

 

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郡山市長選候補者に公開質問状提出!

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 3月30日(土)増子副理事長は、4月14日投票で争われる郡山市長選に立候補している原正夫、品川まさと選挙事務所を訪ね、原発事故を踏まえた医療福祉の施策に関する公開質問状を提出しました。回答を組合員、職員に知らせ投票の材料にしたいと考えています。

(小抜)
 

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